2021-04-07 第204回国会 衆議院 国土交通委員会 第10号
だんだん時間がなくなってきたんですけれども、今度の流域治水の中では、治山事業とか、あるいは山を治める植林や森林整備について余り書かれていないんだけれども、これはどうしてだろうか。山を治めることが私は治水の一番の原点だと思うんですけれども、いかがですか、井上さん。
だんだん時間がなくなってきたんですけれども、今度の流域治水の中では、治山事業とか、あるいは山を治める植林や森林整備について余り書かれていないんだけれども、これはどうしてだろうか。山を治めることが私は治水の一番の原点だと思うんですけれども、いかがですか、井上さん。
山を治めることは国を治めることですよ。そういう事例が過去にたくさんあったんですよね。日本の河川が大氾濫を起こしたのは、山がはげ山になったからですけれども、そういう意味では、林野庁の役割は大きいと思うんです。
というのは、かつて天竜川の治水について金原明善が、これは明治時代になりますからずっと古いんですけれども、それが中心になって植林事業を徹底的にやり、山を治めることによって治水事業を成功させていった。植林事業というのは、その地域地域のコミュニティーをつくることにも大きな意味があったんだろうというふうに思います。 この二点、学校教育の話と林業について、先生の御見解をいただければと思います。
○上田清司君 それでは、視点を変えて、よく経世済民というふうに、世を治め、言わば民の心というか、あるいは懐を温めるというのは仁徳天皇の時代からの日本の伝統だというふうに私は思っています。
まさに読んで字のごとし、自ら治めるのが自治であって、総務省がああしろこうしろと言うのはあるべき姿ではないということを前提にして、今、各地方の各首長さんにお願いしているのは、御自身の町や村だけのことを考えるのではなくて、お互いに近隣、そしてまた、近隣していなくても、北海道とか沖縄でもいいと思うんですね、お互いの魅力とその町の魅力というものをお互い認め合って、協力する連携によってどういう付加価値が生まれるかということを
いわゆる条例を作って、もう法律と一緒だというようなことで作って自治体を治めていこうとか、そういう条例の時代だとよく言っておりましたけれども、そういう流れの中で地方分権改革が出てきたということでございました。それで地方の自由度をしっかり上げていくということですね。
そして、特に山の仕事は、まさに山を治め川を治めるのは国を治めるということでありまして、国民の生命財産にかかわる部分が多大にあるということもあります。そして、森林組合ですから、組合には組合の理念というものがあります。 そういったものをしっかりと継承しながら、長いスパンにわたって、国民に対して、森林組合の皆さん方はこれまでも大変な役割を果たしていただいてきました。
結果的には、山を治める、あるいは水を治める、それを治めていく人たちの民間の組織が私は崩れていったのではないだろうかと。それが大きな治水の被害の原因の一つなのではないだろうかというふうに思います。 河川局長、そんな考え方、いかがですか。
西日本豪雨災害は、おととし、岡山県も大変な被害を受けまして、再度災害の防止の意味でも、とにかくしゅんせつをしなきゃいけないというのはもうみんなの共通課題なんですけど、要は、その河川のキャパシティーがこれぐらいあったとしても、土砂がたまりまくって土がこう上がってしまうと、治められる川の水の量が圧倒的に減ってしまうのであふれやすくなる。
山を治め水を治めることが国家を治めることの基本だというのは昔からこの国は変わりませんので、御指摘のように、この食料・農業・農村基本計画をこれから見直すに当たっては、災害に強い農業を確立するにはどうしたらいいのか。それは、もちろんため池とか公共利用施設を整備することも大事ですけれども、例えば、今回茨城とか千葉とかに行かせてもらうと、今まで台風災害を想定していないハウスなんですよ。
経済という言葉は、経世済民、すなわち世を治め民を救うという言葉が語源なのだそうでありますが、麻生大臣は、総裁選で石破茂氏が地方票の四五%を得たことに関して、どこが善戦なんだと言い放ったと聞いております。四五%の皆さんの地方票は、政権への不安や心配、そして批判、一つ一つは小さな声かもしれませんが、確かな民の声であります。
まさにそこの地を治めているトップの人間の判断でもう本当に変わっていくんだと。よくそれを、いやあ、中国はまだ人治国家だななんということを言う人もいますけれども、もちろんそれぞれの国にそれぞれの言い分があると思いますけれども、少なくとも日本はきちんとした法律の中で運営をされているということは、私、誇っていい一つではないかと思います。
ていうの、掛かるコスト、生産に掛かるコストの削減とか、それに伴って付加価値が上がって、同時に販売額も増加するといったような、成果目標をある程度見えるようにしてくださいというような話がしてあったり、一方で、熊本もそうでしょうし、私どものところもそうですが、中山間農地というものがありますので、農業生産活動の継続をしてもらうことによって、そこらのところが中山間地であっても水田等々きちんとやることによって、水を治める
今、次の時代には、もう一度、経済の語源である経世済民ですよね、世の中を治めて民を救うという、そういう原点に戻るべきだと思っております。 以上が簡略した私の平成の概観なんですけれども、まず、安倍総理に、私の今の平成の総括につきましての総理の御所見をお伺いしたいと思います。
小魚を煮る際は、ひっかき回したら頭も尾も皆取れてしまうように、大国を治めるには形を崩さないように無為自然に治める方がよいという考えもあるようでございますけれども、総理の御見解を最後に伺いをいたしまして、質問を終わらせていただきます。よろしくお願いします。
国家というのは、目的は国を治めること。安全を守り、繁栄を守り、国民の財産を守る、それが第一の目的だということで重要な役割を果たしておりますが、時として組織にありがちな、逆さの論理というんでしょうか、その自分の目的のためにそれ以外のことに十分に配慮が行かなくなる傾向がある。常に計算をしながら、自分の組織、国なら国にとって何が一番プラスかということを考える。
今の自民党が治めている日本の仕組みってやはりおかしいんですよ。山花先生はおかしいと言った。もう全く同意です。同じ党でやりたいぐらいですよ。ああ、要らないですか。
本当に、人心を治めつつ、政策を実行する、その両輪そろってこその、この国の為政者だと思います。 もう時間がありませんし、私も、これは本当に心を鬼にして質問をするつもりでした。この安倍改造内閣はもう何回目になるんでしょうか。過去、改造そのものに対する評価が五割に迫ったこともあるんです。今回は、居並ぶ閣僚の皆様を前に申しわけないんですが、二割ですよ、物によっては。
しかし、何というんでしょう、午前中の障害者の件もそうですが、人心を治め、国を治め、これもまた為政者の重要な仕事じゃないですか。 総理、私、念のため持ってきたんですよ。安倍政権は道徳を教科化したでしょう。私、これは反対です。しかし、やった。それで、今、教科化して生徒は評価されているんですよ、それぞれの道徳姿勢はどうかと。ね、柴山大臣、そうでしょう。
特に日本国憲法の下で、国民は国を治めていく主権を持っていると、国民が主権者であるというふうになっておりますが、この国民が持っている権力を具体化するために、現実化するためにルールを作るのが国民の代表機関である国会、したがいまして、我々国会は、国の統治機構の中で一番高い地位、国権の最高機関と憲法で定義されています。
責任をとって、そしてやめるべき人はやめなければ、どうやって日本の国を治めていくことができるんですか。 よく、政治家は信なくば立たずと言いましたよね。あれは、孔子が、弟子の子貢といって、政治をやるのに何が必要ですかと。孔子は三つの要素が必要だと言ったんですよ。一つはやはり食料をしっかりと与えること、それから二つ目は軍備を備えること。これは春秋戦国時代ですから。
私たちはいろいろ、何というんでしょうかね、昔の中国であれば、治山治水、そういったことをまずできる人が国を治めることができる、そんなふうに言われていたわけでございますけれども、我々、技術も進歩し、今いろいろな形で重機も使えるようになりまして、国土の安全、安心といったようなことでの防災対策、そういったことが、治山治水というものが相当程度発達してまいりました。
特に、ことしは明治百五十年ということがよく言われますが、明治維新以来、実は、地方分権というのは我が国にとっては大変大きな課題でありまして、明治維新以来、我々の先人は、地方をどう治めるかということに対しては物すごい情熱を持って取り組んできたと私は思っているわけであります。